アルファサード株式会社 代表取締役 野田 純生のブログ


初期の営業とか人脈とか - 会社とこれまでのこと(6)


公開日 : 2009-10-11 04:19:30


アルファサード有限会社では現在人材を募集中です。広告(1)-東京(2)-大阪

twitterでのtomixさんとかfuuriさんとかのやりとり? っていうかそのあたりきっかけで。

昨日の話でいうと、感情的な好き嫌いとか、もちろんビジネスにもそういうのはあるんだろうけど、そういうの抜きにして互いを尊敬して「何か(多くの場合はお金か時間)」をちゃんと賭け、提供しあえる関係ってのが「人脈」の定義。かなぁ...

人脈の定義がどう、っていう話もあったけど、ひとまず僕にとっての人脈の定義はこんな感じかな。

さて、話ずれるかもしれないが、とりあえずつらつら書き出してみよう。

会社を始める時に決めたこと。

  1. スーツを着る
  2. 同業の下請けはしない
  3. 人脈に頼らない
  4. パッケージは持たない
  5. 最初から東京視野に入れておく

4つめだけは撤回してるね。それでも、まぁ会社始める時にこの5つは決めていたんですよね。

スーツ着る

何ていうか「アンチテーゼ」って言葉が大好きなんですね。人と違うことやりたい。やりたがる性格。「同業からの下請けはしない」「最初から東京視野に入れておく」にも繋がるけど、いつか「ど真ん中」の仕事したいと思っていた。

スーツ来たら何かが実現するわけじゃないけど「スーツ着たWeb屋になる」っていうか、「アクセシブルなWebサイトをツクル会社」をひとりで作って、誰を顧客にするの? って考えたら、スーツ着るのがいいんじゃねーか。って、そんな程度のことだけど、ひとりで仕事はじめて切り替え出来なくなるのがいややったんやろね。ひとり出社でも打ち合わせなくてもスーツ着る、って何ていうか、そう決めたんです。

同業の下請けはしない

もうね、ここに書いてある。すごく影響受けてるな、今考えると。8年程お世話になったんだけど。

  1. 情報に力を与える仕事をします
  2. 自分がお得意先(クライアント)でも、自分に頼みたいと思える仕事をします
  3. 長くお得意先(クライアント)に役立つよう努めます
  4. 結果に謙虚な経営をします
  5. 自主自立の気概を持ちつづけます

3つめだけはちょっと現状のウチのスタイルと違うのですが、今考えるとあとは変わらんのですね。「現実に敬意を払え」って口癖のようになってるけど、S社長の言う言葉でね、一番心に刺さったっていうか、ずっと覚えてる言葉なんだな。

さて、上記のリストで言えば「自主自立の気概を持ちつづけます」にあたるわけですが、下請けって楽なんですよ。ある意味。下請けってのは「他人が生み出した仕事」のお手伝いであって自ら仕事を生み出してるわけじゃないんですよね。

前職時代のそれってのは、例えば広告代理店とかが競合対象なわけですが、アルファサードの場合、それは他の「Web制作会社の下請けをしない」ということを指します。

確かに当初は色々ありました。でも「仕事がたくさんありすぎて手が回んないんです」「ウチでもできるんですけど」的な会社の下請けに回ったが最後、価格競争というか、最初からマージン引かれた価格での対応を迫られます。「ウチでもできるんですけど」がまた曲者で、それって「替えのきく仕事」なんです。ウチじゃなくてもできる仕事。そういうのって、絶対値段上げていかれへん。「僕ね、40過ぎたんで今日から単価あげていいですか」て無理ですよね。少しでも安い競合がきたらそっちに仕事持っていかれる。だからそれはしない。

もちろん現状で他のWeb制作会社さんの仕事あります。「替えのきく仕事」じゃなければOKってことです。Power CMS for MTを入れていただく、そのサポートをする、ってのは「替えのきく仕事」じゃないですよね。だからそれはOKなんです。そういう意味での「同業の下請けはしない」ということです。

人脈に頼らない

さて本題(なのかな)。1人で会社をはじめたわけですが、そりゃ最初は不安です。まず仕事あるかどうかって。今日明日のメシをどう食うかって時に、一番楽なのが人脈に頼ることです。つまりは...楽すんのが嫌だったんかな。いやそうではなくて。

何が嫌って「人脈をベースにすると、先が見えてしまう」んですね。「あの人とあの人とあの人に、このくらいの仕事貰って、そうすればこのくらいの数字だせるじゃん」っていうのが新しく作った会社の事業計画だったら、それって果たして面白いの?

もしくは、その時点の人脈って、やっぱり仕事を通じた人脈がメインだから、下手をすると仕事の内容とか仕事一緒にする面子が全然変わらないってこともあり得る。そんなん、会社にいてもできるやん。会社作った意味あんの? ってことです。

前職でお世話になったS社長、元社員が独立して下請け的に仕事してるの、どこか面白くなさそうだった。楽に流れるなって。そういうの、何かわかるんだな。

それでも最初は元いた会社の下請け、人脈頼りの代理店仕事とかしてた。でもそこでとどまりたくはなかったのです。

では、初期の営業はどこでしてたのか。

  1. 人脈ベースでごあいさつ
  2. ビジネスマッチングサイトで案件に応募
  3. 官公庁のプロポーザルや入札
  4. セミナーやイベントへの参加

1つめは、まぁ普通にやります。でもそこがメインじゃないってのは意識して。でも実質そのあたりの目算は外れます。会社の看板なくて、お金が絡む部分では、人脈って5割引くらいで考えて丁度だよなって。そう思います。その辺は若い頃に会社ごっこやって失敗してる経験が生きてるのかも。「あの人とあの人とあの人からこのくらい仕事もらって」っていう事業計画はほぼ実現できないと考えたほうがいいと思う。

2つめ。ビジネスマッチングサイトで案件に応募ってやつ。これもいくつかやりましたよ。仕事がそこにあるのだから。

ただ、これってすんごい世界だったな。「mixiと同等の機能を持ったSNS」「予算30万円」(当時OpenPNEとかなかった)でね、20社くらい応募があるの。mixiが30万円でつくれますか? 確かに営業力がなくて実装力がある、ていうバランスだったらそれはありかもしれないけど。

あと、今だから思うんだけど、発注側としてあれ使うってのがそもそも、外注するノウハウとかネットワークがないんじゃないかなと。そういうところの仕事は受けても苦労すると思う。

で、「官公庁のプロポーザルや入札」ってやつね。これ、当初から考えたはいたんだな。でも「全省庁統一資格」てのが必要。最初の決算終えてないと駄目なんだよね。但し、最初の決算て1年経過せずに迎えられるんですよ。11月に法人登記して翌年6月に最初の決算迎えたから実質半年ちょっとで取得出来たわけです。それまでは下請けに甘んじる。結構実績重視されるから、下請けでも何でも書ける実績作っておいた方がいいわけです。その上で資格を取得出来たら参加する。

5つめの項目の件の話になるけど、この辺アプローチするなら絶対東京がいい。関東甲信越の資格とっておくこと。その意味もあるのかないのか当時の心境は正確に覚えてるわけじゃないけど、設立半年時点で西麻布のインキュベーションオフィス借りて人入れてた。事業所作って登録してたんだよな。

で、最初の受注はプロポーザル参加3回目。国の事業のネットプロモーション。たいして儲からなかったし必死だったけど、実績作りと足がかり。次の案件受注も同じ省庁。提案書に小中高でのユーザーテストを盛り込むっていう提案が受けて受注したんだな。とにかくあの頃はその辺必死だった。

今となっては入札案件とかはしんどいけど(金額が半端なく低いので)。提案力に自信があれば、こういうところも選択肢なんだと思う。

で、「セミナーやイベントへの参加」ってやつですね。

今となってはすげー恥ずかしいけど、会社始めた時ってこんなサイト作ってセミナーに参加したりソフト公開したり、WCAGのドラフトの邦訳して公開してみたりそんなことしてた。

参加者としてじゃなくて、自分がスピーカーになる。そういう参加の仕方で、実はそういう場所は結構あるんですよ。呼ばれなくても、発信出来る場所。

とにかくそういうことをやってた。最初の2年くらい。

[ここから追記]

パッケージは持たない

この部分だけは今は変わってるけど、当初は会社案内に堂々と「パッケージは持ちません」って書いてたんですよ。本当に。

当初は一人だから必然的にキャパにもスキルにも限界があるし、制作の外注比率が50%程度はあったわけです。自分は上流をひたすらやっていた(下請けしない、って言ってんだから当然こうなる)。ここも今は変わっています。現在は「上流でなく、下流のピンポイント」

パッケージを持つ、あるいは担ぐってことは当然先行投資的に開発して、営業ツール作って売りにいくってこと。当初は先行投資の余裕がなかったってこともあるけれど、「パッケージを持つとクライアントに最適な提案ができなくなる」「最適な提案でなく、自社のパケージにとらわれてしまい、本当は他のパッケージがいいのに無理な提案をしなきゃならない」って考えていて、当時からOSSとかとても好きだったのでCMSに限らずそういうものを持ってきたりして都度案件に最適なものを提案していた。

ある意味でこれは正しいと思う。上流をやっている限りは必然的にそういうことになるし。つまりは「何でもかんでもMTで」っておかしいやんな、それ、ということです。

つまり、ニュートラル、クライアントの利益を最優先しますよ、というスタイル。

これが何故変わったのかってのはこれまでに書いたし、今回のエントリーの話題ではないのでここでは割愛します。以下のエントリー当たり参照いただければ。

最初から東京視野に入れておく

会社はじめて半年くらいは行ったり来たりしながら時間貸しのレンタルオフィスとか使って東京の仕事半分くらいしていた。当初は人脈頼りでのスタート、広告代理店の手伝いとか、以前いた会社の手伝いとか中心だったわけですが。

僕はかなり"ひねた"性格なので、「地方は予算ないし」とかぶつぶつ言うのが嫌だった。東京に何て言うか、ひねた視線を送ってたんだよな。大阪とか、関西でWeb業界のイベント、セミナーとかあるでしょ? で、東京の誰それさんがゲストで来るねん、って。殆ど行かなかったもん。何そんな東京もん来るってお前ら喜んで見に行ってんの? て。何で俺呼ばへんの、とか(笑) ←結構マジで思ってた。そのくらいの自意識過剰じゃないとやっていかれへんと思うねん。

官公庁案件もあわよくばって思ってたところもあるし、半年後には東京に拠点作ってた。

何ていうか、僕が広告業界の下にぶら下がるタイプの制作会社をやる気があまりなかったから(当初はそういうのが多かったけど)余計にそうなんですが、人脈に頼らず仕事を広げていきたければ最初から東京見ておいた方がいい。

代理店系を除いて関西の仕事って、その多くは中小企業、オーナー社長とかトップに近い人を相手に仕事をすることになります。それはそれで非常に勉強になるし、鍛えられる。若い頃に一度やっておくのって絶対損はないと思います。学ぶことは非常に多い。ただ、当然かもしれないけど予算に対して非常に厳しく、レベルの高いことを要求されます。若い頃はいいと思う。是非やるべき。ただ、当時既に37歳だったからね。違う方向を狙ってたってことです。

6年経過した今では、また違った考え方をしているけれども、当時はこんなこと考えて仕事してた、ってことです。

誰かにとって、何かの参考になれば幸いです。



このブログを書いている人
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野田 純生 (のだ すみお)

大阪府出身。ウェブアクセシビリティエバンジェリスト。 アルファサード株式会社の代表取締役社長であり、現役のプログラマ。経営理念は「テクノロジーによって顧客とパートナーに寄り添い、ウェブを良くする」。 プロフィール詳細へ