"自分たちのサッカー"は、通過儀礼なのではないか。

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決勝トーナメント見てると、そりゃ、レベルが高いというか、こんなところで日本チームが勝ち抜けるのかというと、普通に無理っぽい印象をうけます。何だ今さら? まぁそりゃそうなんだけど。

でも、何が起こるかなんて誰にもわからないのが、フットボールだ。

自分たちのサッカーを封印して、ガチガチに固めてワントップのカウンターに賭けるというのも、もちろん有りだろう。徹底的に相手のストロングポイントを研究して、そこを殺すという戦い方も、もちろんあるし、決勝トーナメントの戦いを見ていると、そういう戦い方を意識しているようなチームも相応にあるし。

JR鶴が丘駅のポスター。2005年12月3日は長居の悲劇。のサムネール画像

歴史はバカにできない

自分たちのスタイルを殺して弱者の戦い方をして、そこそこの結果が出た。でも、それでは限界を感じた。ならば、自分たちのスタイルを貫こう、と。

で、それでも歯が立たなかった。ならば、また、考える。繰り返しながら進化して行く。ただ、そう言う道っていうのは、もう経験してきた長い歴史を持つ国があるんだよねきっと。そう考えたら、まだまだ時間がかかるように思う。

当人たちにとっては一発勝負であり、それでいいのだと思う

"優勝を狙う" それはそれでいいのだと思う。当人たちには長い歴史とか、待ってられへんのです。そして、そう言う姿勢での負け方が次につながる。結果的に、であり、それは外野の台詞であるべきだろう。

いい経験になった、なんて絶対言いたくない

ちゅう曜一朗の言葉は、プレイヤーとしては当然の言葉であろう。外野の見方は違ってもいい。

"自分たちのサッカー"は、通過儀礼なのではないか。

そういう意味で、"自分たちのサッカー"は、通過儀礼のようなものだ。優勝は、気の遠くなるような長い道のりが必要。順位を一時、ひとつ上げることは小手先の取り組みでもできるだろうけど、もっと根っこの力を付けようと思えば、この負けが必要だったのだろう。

さて、メッシは勝てるだろうか?

寝るけど、な。

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このページは、Junnama Nodaが2014年7月 2日 01:47に書いたブログ記事です。

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