コミュニティ2.0は叱ってくれる大人のいない世界。

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何年かぶりにお盆に普通に墓参りをしてきた。

鳥取市宮津市という共に日本海側の町というか村のようなところで普段話をしないような生活圏も仕事も全然違う人と話ができて新鮮というか、色々と興味深かった。

昨日は田舎で先生をしている方お二人の会話に混ぜてもらった。お二方とも僕よりも一回りほど年上の方だ。その中でちょっと自分なりに感じたことを書こうと思う。

大学を出た新任教師が田舎町の学校に赴任してくる。先輩教師(先輩というよりもむしろ親くらいの人、以下先生と表現する)が下宿先の荷物の整理を手伝ってやる。「大家さんにちゃんと挨拶しとけよ」という。
翌日、学校へ出て来た新人に「ちゃんと挨拶したか?」と聞くと「まだ行けてないんですよ」という。先生は叱る。物事の大切さや優先順位がわかっとらんのだ、と。

この話は一つの例なのだが、「最近の若者は...」のように世代の問題ということもできそうだし、現代社会の一般的な(つまりは地域や周囲との関係が希薄であるといったような)問題だということもできるだろう。もちろん都会と田舎という地域の差もあるかもしれない。都会ではこういったことに対する必要性が比較的薄い。「都会育ちの最近の若者」にすれば、何でこんなことで叱られるんだろう? くらいに思っているのだろう。

先生曰く「親や大人がちゃんと叱ってやれるかどうか」が重要だという。うん、うんと頷きながら聞いていたのだが、後でふと思ったことがある。この話が僕の頭の中でネットにおけるネガティブコメントやネットイナゴの話と何故だか繋がってしまったのだ。

* 帰りの列車の中で携帯電話でRSSをチェックしていて、このエントリーを読んだことと関係しているのかもしれないけれど。

コミュニティ2.0は叱ってくれる大人のいない世界

ネット上に形成されるコミュニティにおいて、コミュニティ1.0の時代はまだ「叱ってくれる大人」がいた。叱る理由がどこまで正当かは置いておいて。「過去ログ読め」「マルチポスト禁止」等は一例だが「タコは育てよ」という合言葉がLinuxの世界にあったように、コミュニティ1.0においては「イタい」発言をしてしまった者に対して「叱ってくれる大人」が存在した。

コミュニティ2.0では「叱ってくれる大人」は存在しない。というか、「叱ってくれる大人」が入って来られない場所にみんなで移動してしまったのだ。

メーリングリストのような一カ所での対話から個々のブログという分散型のコミュニケーションへ、そしてブログのコメント欄もトラックバックによる言及もだんだんと使われなくなり(スパムの問題もある)、ソーシャルブックマークやSNSや一行ブログ(?) で誰かを罵ったり卑下したり間違ったことを発言しても誰も叱ってくれない(そもそも誰を叱って良いのかもきわめて分かりにくい)。コミュニティ2.0は座長のいない会議のようなものだ。

だがしかし、少数ながらそんな大人は存在する。ネガティブコメントに切れてマジレスするオッサンたちである。そう、僕のような(笑)。

スルー力なんて実は要らない

スルー力ってのは、若者を叱ったら逆切れされて金属バットで殴られてイタイ目にあうのが嫌だから目をつぶって何も言わずに無視する力のことだ。

だから僕はスルー力の無いオッサンが好きだ。そして何言われてもアウトプットを辞めないオッサンが好きだ。そういう「痛い」オッサンがいなくなったらコミュニティ2.0は随分殺伐とした世界になってしまうだろう。

なんてことを僕よりも一回り年上の先輩オッサンたちと一升瓶を囲みながらぐだぐだと話していた後に大阪へ帰る道中「明日からまたネットの世界に戻るのか」などと考えている時にふと思った今年の夏休みであった。

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このページは、Junnama Nodaが2007年8月15日 14:42に書いたブログ記事です。

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