成功ってのはメディアが判断するものではなく、ましてや世間が判断するものでもなく、誰あろう自分自身が判断すべきものではないのかね?

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少々長いが引用する。

Web 1.0に学ぶ失敗しない法則--グーグルをつくれなかった男の話 | CNET Japan

Direct Hitは1999年までは堅調で、株式上場の申請も出した。SunのサーバをIntelベースのマシンで置き換える作業も始めた。しかし、他の検索会社のようにブランドとして認められることもなかったので、2000年1月、Ask Jeevesに同社株の12%(約5億ドル)で売却する道を選ぶ。

ドットコムバブルがはじけるとAsk Jeevesの株価は反騰し、2005年にInteractive Corpに18億5000万ドルで買収された。それでも、Direct Hitには2億2200万ドルの値がついたことになる。Googleの敷地に灯されているすべてのラバランプの代金にも満たない額だが、それでも大金であることに間違いはない。

これを「失敗」と呼ぶ人たちは(あるいは、「失敗」と書かれて何の疑問も感じない人たちは)どんな成功ストーリーを描いているというのだろうか。

みんながGoogleになりたくて、それこそが成功のモデルで、この記事のような「失敗」をしなければそうなれると思っているのだろうか。

これを「成功」でなく「失敗」と捉えてしまう人ってどうなんだろう。

何をもって成功とするのか。少なくとも(僕が)会社を始めるときは不安との戦いだったし、皆がMicrosoftやGoogleになれるわけではないこともわからなくてどうして起業なんかできようか。

Googleになれなきゃ「失敗」だったら、世の中は失敗のオンパレードじゃないか。

成功ってのはメディアが判断するものではなく、ましてや世間が判断するものでもなく、誰あろう自分自身が判断すべきものではないのかね?


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コメント(2)

はじめまして。

原文には「失敗」という言葉はないのですが、
編集でそのようにしてしまったようです。

原文タイトルは、
「The man who would be Sergey」で、
「Sergey Brinになっていたかもしれない男の話」くらいでしょうか。

この記事の筆者は、Culliss氏に対して、
非常に肯定的だと思います。

そりゃあgoogleにはなれなかったかもしれないけれど、
ハーバードロースクールを出て、
そのまま弁護士になっていたら、
もっとつまらない人生だっただろうね、
というニュアンスを含む最後の文
Life could be worse.
あたりにも、
その感じが出ています。
Googleなみの成功を収めるかどうかは、
紙一重の微妙なところで決まる、
Culliss氏のように、
少しだけ何かが違っていれば、
大成功を収めたかもしれない人たちはたくさんいる。

そのちょっとしたことをまとめてみたら、
こんな風になるかもね、

この記事のキモは
そういうことじゃないかと、
と私は思っています。

まさ さん
コメントありがとうございます。

確かに、原文とは違いますね。
Culliss氏はCulliss氏でいいんじゃないかと思います。
Sergey Brinになんてならなくて良い。

> しかし、今はステーキハウスで順番待ちをするような平凡な市民だ。

平凡な市民なんかじゃないと思う。平凡な市民とは天地の差があるのです。自分でことを起こして、その結果がどうあれ一文無しになったり借金に追われる生活になったわけじゃない。
少なくともステーキの値段が少し安いかどうかなんて気にしないくらいのお金は持っているはずだし。平凡の基準をどこに置くか、とかにも関係するかな?

まぁ、メディアだから少々煽るようなタイトルをあげるわけですが、少なくとも彼の生き方は「失敗」なんかじゃないと思う。

あと、まだ勝負は終わっちゃいない、ということも付け加えておきたいと思います。

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このページは、Junnama Nodaが2006年7月 3日 01:57に書いたブログ記事です。

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