元々は仕事でBlogを提案することになったので自分でも書いてみなきゃってことで、ここで書き始めたわけだが、ここ(ココログ)のレスポンスがあまりにも悪いので引っ越すこととする。
選択肢は数多くあるし、仕事でクライアントへ導入したオープンソースのBlog/CMSも数多くあるのだし。
Webサービスはインフラが基本だな。
ただ、閲覧はそうでもないんだな。やはり静的なコンテンツは有利だ。
では、静的なコンテンツベースのCMSを作ろう。
元々は仕事でBlogを提案することになったので自分でも書いてみなきゃってことで、ここで書き始めたわけだが、ここ(ココログ)のレスポンスがあまりにも悪いので引っ越すこととする。
選択肢は数多くあるし、仕事でクライアントへ導入したオープンソースのBlog/CMSも数多くあるのだし。
Webサービスはインフラが基本だな。
ただ、閲覧はそうでもないんだな。やはり静的なコンテンツは有利だ。
では、静的なコンテンツベースのCMSを作ろう。
404 Blog Not Found:死人に鞭を打ちたくはないが
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50557369.html
カルロス・ゴーンは、そういう幻想を全く抱かなかった。経費節減フェーズでは、製品にすら目をくれず(!)経費節減に励み、経費節減体質が全社に行き渡ってからはじめて収益向上に手をつけたのだ。↑の「カルロス・ゴーン経営を語る」の原題は"Citoyen du Monde"。「世界市民」である。彼がなぜ国を問わず成功したかといえば、この世界的基本に忠実だったからに他ならない。
3年前、僕はサラリーマンであった。当時勤めていた会社の社長の言葉を思い出す。
「現実に敬意を払う」のだと。
結果に謙虚な経営をする、という意味でカルロス・ゴーンの言葉を引き合いに出して良く言っていたのだ。
今の日産がどうであるかはともかく(もちろん橋本元首相がどうあるかが本題ではないのであるが)、「現実に敬意を払う」と色んなことの見方が変わってくる。
「結果が全て」ではなく、「結果に謙虚」であり、「結果(現実)に敬意を払う」ことが大切なのだ。
それが経営者であっても、政治家であっても。
「CMSを導入したい!」というニーズがすんごく多い。
でもね、
あたりで頓挫するケースも多く、結局のところ...
というCMSが求められている(少なくとも僕のクライアントの多くには)。
でさぁ...MovableTypeになっちまうわけですよ、結局。MTでは足りない部分、オープンソースCMSならクリアできる部分も多いのだが、「ツボ」をおさえているのがMTなんだな。
「そのあたりの現場のニーズを汲むのは商用ソフトに任せておけよ。オープンソースってそうじゃないだろ。」
ってのは分かるわけだが、もうちょっと「スーツ」と会話をすれば導入事例も増えるし、売りやすくなるってことで、得られるメリット(リソースを割けるとか、時間をかけられるとか)があるのではないだろうか?
一方で、「全部スクラッチで作るぜ! 他人の作ったものなんてしらねぇよ」って言われても、それはそれで違うんだよなぁ。
っつーことで、
少々長いが引用する。
Web 1.0に学ぶ失敗しない法則--グーグルをつくれなかった男の話 | CNET Japan
Direct Hitは1999年までは堅調で、株式上場の申請も出した。SunのサーバをIntelベースのマシンで置き換える作業も始めた。しかし、他の検索会社のようにブランドとして認められることもなかったので、2000年1月、Ask Jeevesに同社株の12%(約5億ドル)で売却する道を選ぶ。
ドットコムバブルがはじけるとAsk Jeevesの株価は反騰し、2005年にInteractive Corpに18億5000万ドルで買収された。それでも、Direct Hitには2億2200万ドルの値がついたことになる。Googleの敷地に灯されているすべてのラバランプの代金にも満たない額だが、それでも大金であることに間違いはない。
これを「失敗」と呼ぶ人たちは(あるいは、「失敗」と書かれて何の疑問も感じない人たちは)どんな成功ストーリーを描いているというのだろうか。
みんながGoogleになりたくて、それこそが成功のモデルで、この記事のような「失敗」をしなければそうなれると思っているのだろうか。
これを「成功」でなく「失敗」と捉えてしまう人ってどうなんだろう。
何をもって成功とするのか。少なくとも(僕が)会社を始めるときは不安との戦いだったし、皆がMicrosoftやGoogleになれるわけではないこともわからなくてどうして起業なんかできようか。
Googleになれなきゃ「失敗」だったら、世の中は失敗のオンパレードじゃないか。
成功ってのはメディアが判断するものではなく、ましてや世間が判断するものでもなく、誰あろう自分自身が判断すべきものではないのかね?