テレビがWebに学ぶべきこと。

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世間的にはワールドカップなわけですが。

「古館さん」(ドイツと中継がつながっている)

(2.5秒程間があって)

「はい...」

呼びかける方を2秒程遅らせたら(映像と音声を)自然な会話になるのに。簡単なことだろう? 2秒の差が気になるくらいのリアルタイム性を求めているわけでは無いのだ。これこそが「ユーザー体験」ではなかろうか。

もう一点。『映像を見る』対象デバイスはすごく広がっている。50インチのハイビジョンディスプレイと数センチ×数センチの「ワンセグ」と、同じ映像で良いのか?

以前から思っていたことだけど、野球中継とかサッカー中継っていかんよな。スタジアムで見るスポーツの美しさってね、例えば外野の間を白球が抜けていく瞬間にプレイヤーたちが一糸乱れぬ動きを見せる(フォーメーションの美しさ)、中継プレーのために自分のいるべき場所にポジショニングするっていう「引いた映像」でこそ得られる美しさってのがあるわけで。

いいかい? 選手の顔のアップなんて現場ではどうでも良いわけだ。あり得ない。

テレビも結局職人の世界なんだなと思うのはこういう時である。時代が変わっているんだから、変わろうよ。

テレビはWebに学ぶべきだよ。もっと。

『制約と変化に適応する美しさ』がWebデザインにはあるのだ。

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テレビがもたらした価値観、マイクがもたらした価値観
奇声を発しないと舞台から観客まで届かない、だからオペラや歌舞伎は口語ではなく芝居じみた台詞をまわす。舞台の俳優は記号として認識される様に凄い化粧をする。
代わりにアップしていってくれるので、呟きや儚い薄い白い肌も伝えてくれるようになり、声のでない少女も商品化できる。記号として、男を使う事も無い。
少女は座敷に舞妓として呼んで鑑賞しなければいけなかった昔と違う。
テレビの職人はその方向でアイドルを調教したし、グラビアカメラマンもそう。現場に行くとげんなりしてしまう。職人の加工は上手くいけば料亭の板前といっしょで「美味しい」
調教しなくて素の情報を微視的に流通出来るWebがいいのか?色々なチャンネルが様々な見方をつたえる俯瞰的なWebがいいのか?それも人ぞれぞれ。

シンプルに考えれば、現状に安住しない、常に向上するってことでしょうか。野球中継の視聴率があがらないのは、演出にも責任があるのではないかというのが僕の考えです。
球場で感じる愉しさが映像から感じられないのは何故か?をもっと考えなきゃと思います。

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このページは、Junnama Nodaが2006年6月10日 00:40に書いたブログ記事です。

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